こんにちは、りんママです。
フラワーギフト利用されたことありますか?
私は2度くらいでしょうか。
1度目は街の花屋さんに直接頼んで送り、今回、2度目はネット販売を利用してオーダー。
送料無料(込み)だったので気にしてなかったのですが、お店の所在地は「徳島」。
送り先は「岩手」だったのですが、効率が良いの悪いのか、指定日に届くのか若干後悔…(苦笑)
送ることにためらっていたため、希望日の「8月3日」も7月31日の夜中のオーダーになってしまい、ダメ元で、希望日を備考に指定。
ネットながらも予想以上に色々希望内容を指定出来て大変助かります。
フラワーギフト
▲実際に送られてきた画像
【参考】
Sサイズ
4,438円(送料込)
選択事項
- 画像配信希望
- メッセージカードにご希望の文章で作成(字数制限あり)
- 葬祭場への受け取り確認
- 高温期の配送は「冷蔵便」でお届け
- カラー「華やかな色、控えめな色、色おまかせ、ミックス、白のみ、青・紫系、ピンク系、イエロー系」
- お届け希望日
発送状況
7/31 ネットから発注
8/ 1 翌日早々に希望日で注文を承る旨の連絡あり
8/ 1 送る前に撮られた画像で装飾内容を確認
8/ 1 発送完了の連絡(発送状況を確認URL付き)
8/ 3 午前。受け渡し完了をWebより確認
8/ 5 お店からのお届け確認のメールを受信
便利でしょ。
実際、店頭で発注した場合でも送った内容は確認できませんよね。
でも、気になりますよね(笑)
なので、このサービスは嬉しい限り。
便利な世の中です。
お盆期間はやはり発注も多いらしく、画像の対応は難しい旨但し書きがありましたが、今や使われる方多いのですね。
なかなか会えない親戚や友人の記念日に、想いを伝える手段としていいと思いました。
もやっとしていた気持ちがすっきり。
この後は、花を送ることにした理由というか、私の思い出話が続きます。
お暇な方は読んでみてくださいね。
8月3日の誕生日祝い
彼女は、昨年、2017年11月にこの世を去りました。
猫的には、お空にかえったとか、虹の橋を渡ったとか言うのかな。
私が一番初めに出会った”猫好きさん”です。
彼女との出会い
出会いは、かれこれ・・・、折しも就職活動の最終面接のため上京した会議室の待合室。
私は短大生活2年目、就職活動に励みつつ最初に決まった内定を取り消したがため、この時すでに残りの学生生活も終盤を迎えていたように思います。
事務職は条件さえよければどれも同じと軽い気持ち(半分やけ気味)で受けた会社の1次、2次に通り、なんと最終の役員面接を東京本社で受けるため上京。
この時、忘れもしません、人事担当者に案内され入った待合室にリクルートスーツを着た女性が1人。
「え、まさか残ったはったの2人?しかもこの場で会っちゃう配慮のなさ!?」と更なるプレッシャーに愕然。
しかし、先に面接を受けている彼女を待つ間、仰天する話が舞い込んできました。
人事担当者「えっと、僕的には(りんママ)さんには営業をと思っているんだよね」
えーーーーーこの場でそんなこと言い出すの(大汗)
なるほど、郷に入りました。
事務職は彼女に、私は営業職とすでに見込まれていたのです。
結果、2人仲よく?新入社員として同期入社を果たすことになりました。
同期の中では、短大出身は私たち2人のみであるためなかなか心強い同僚です。しかも、実は同じ短大出身(科は違います)。
職種は違うため競り合う事もありませんが、実際、彼女の方が営業的な仕事を望んでいたことが後々判明。私の人生ってこんなものです。
新入社員研修で、2人一緒に3週間のビジネスホテル住まいを余儀なくされた時には、ここぞとばかりに色々遊びまくりました(笑)
だって、ホテルは職場の近くにあり徒歩通勤可能だし、朝食付き!!
ランチに築地でお寿司を食べにいったり、ディズニーランドに中華街と「あー楽しかった」。
その代償は外見に現れ、二人とも新入社員紹介で撮った写真は弾けんばかり…誰だ、全身で写真撮ったの(汗)
そこからわずか数か月後には、2人とも仕事と世間の荒波に揉まれあっさり痩せ細ったことで、飲み会の格好のネタになったことは言うまでもありません。
この出会いから、私はわずか2年半で会社を辞めることになり、1人会社に残った彼女の愚痴を聞くため仕事終わりにご飯を食べたり、飲みにでたり、ゲーセン、カラオケ等など。
それもなかなか会う機会は減っており、ある時、彼女もその会社を辞めることになったことを聞いた時の私の後悔は「(自分のことはさて置くも)もっと引き留めてあげるべきだった…」です。
すでに第二の人生を歩んでいた私は、再就職の厳しさと派遣で働くことの難しさ、給料の安さを語り切れていなかった。
私自身、この時給料の安さに実家に引きこもっていたのでなんとかなっていましたが、彼女の故郷は他県。そうそう簡単には頼れません。
しかし派遣の厳しさと減っていく貯金通帳とのにらめっこに泣く泣く諦め、故郷に戻ることを決意。
彼女の生活状況を知っていただけに“強く”帰ることプッシュしましたが、当時、私も諸事情により、再び一人暮らしを始めてアップアップしていただけに、ここは説得力あったと思います。
友人が1人少なくなることは残念でしたが、それは“結婚”する友人が増えるのとほぼ同じこと。
お金に困った友人では何も助けてあげられる立場にないため、ひと安心した記憶までが第1章というところです。
震災後に縁が復活
震災で人のつながりを実感しました。
本当に我が身が一番大事にされているこの期間。出来事。
年齢もそれなりになっていたこともありますが、わざわざ他県へボランティアで訪れてくれる方々や状況を心配してくれる友人・知人の存在が嬉しかった。
私も誰かを心配してみようと思いつく友人にメールや年賀で連絡。
実家に戻った彼女とも何年ぶりかで繋がることが出来ました。
お互い近況を語りあうも、それで安心してしまい、SNSとは便利なような、顔を合わせなくてもすむ世の中にしてしまっていることを改めて実感。
年賀をやり取りし、互いに「遊びにおいでよ」と書きつつ果たされることはなく、誕生日にはLINEで「おめでとう!!」のメッセージ交換。
家族以外の人に自分の誕生日を覚えていてもらうことが心にしみる年齢になりました。
私の無職生活
2017年4月、私は自分の誕生日に無職でした…。
元旦に新年の挨拶をLINEで交わした後、ふいに彼女から「そろそろ猫ちゃん画像よろしく」のメッセージが届いたのが3月20日(昔から彼女は猫好き)。
ちょうどよく、りんの去勢手術が一段落したことを写真と共に報告。ついでに私の雇用が更新されなかったこともあわせてお知らせ…。
励ましとともに「たまに猫画像送ってね。○○ちゃん自身の画像でも構いません。」と珍しいジョーダンをと思いつつもしっかりりんとのコラボ写メを送りつけました。そして、暇な生活にりん画像を送ることを約束。
そうそう、この時、猫好きな彼女も当然のごとく「夜廻り猫」を読んでいること発覚(笑)
よって、りん画像とあわせて、夜廻り猫スタンプやカレンダーを月初めに使わせてもらっていました。
私の誕生日には、彼女から1日遅れを詫びつつ「お誕生日おめでとう」のメッセージ。
8月に入り、まずは月初めのりん画像を2日に送信。
彼女からの返信が「これまた超可愛い。でっかくなったね。8月ですなぁ…」
彼女の誕生日を3日に迎え、改めて送ったお祝いメッセージの締めくくりにおくった画像は夜廻り猫のカレンダー。
「歩ける おまいさんは 最後まで 歩けるぞーーー」
たまたま8月のカレンダーメッセージがこれだったわけですが、
後々メッセージのやり取りを確認するため、残ったLINEを見て泣きました。
これを読んで、彼女が、この時どう思ったのかわかりません。
彼女からの返信はありません。
この後、お互いの連絡が途絶えてしまいました。
なぜ私は連絡することを止めてしまったのか…?
なぜなら、再就職できずに悶々とした日々を送っており、卑屈になっていたのだと思います。「送ってね」と言ってくれた割に彼女からの返信はそれほど多くを語らず、この時は、暑い盛りにせっせと働いている人への呑気なメッセージと呆れられたのではと不安になり、連絡するの止めてしまいました。
それでも、やっと年明けから働く見通しがついたことを報告がてら送った年賀状に返信がないことを気に病みつついた矢先、時期ずれて届いた”寒中見舞い”に「あ、なんだ、喪中だったのね」と安堵したのもつかの間凍りついた。
内容がよく理解できない…。昨年11月に彼女が亡くなったことが書かれており、送り主は彼女のお母様。
「優しい子でした」の文字
この言葉が凍りついた私の心を溶かしました。
そうです、最高に優しいひとでした。
男気のある、見ためと違ってさばさばした頼りがいのあるひとでした。
正義感と優しさとが共存した、女性らしい、綺麗に伸ばした爪で起用に開ける缶のタブに感心しました。
彼女の声が好きでした。
その後も実感がわかず、何度も読み返すLINE。
どこかに彼女からの隠されたメッセージがなかったか、どうして気づかなかったのだろうと。
もはや後悔したところで何も変わらないことを実感するまでに時間が必要でした。
ただただ自分だけが生きている事実だけが残ります。
そのことをやっと受け止め、心の整理がついたので、彼女の誕生日にこれまでのメッセージ代えて花を贈りました。
彼女のためではなく、自分自身のための花束でした。
「お誕生日おめでとう」