映画でみる死刑制度のあり方「デッドマン・ウォーキング(アメリカ版/韓国版)」

デットマン・ウォーキング

りんママ、突然難しい話題をチョイスしちゃいました。

韓国版デッドマン・ウォーキングだと(勝手に)思っている「私たちの幸せの時間」はいつ観ても泣けます。カン・ドンウォンの猫顔の目力にやられますよ(笑)

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「デッドマン・ウォーキング(アメリカ)」

1995年制作。

実際に死刑囚の精神アドヴァイザーを務めた修道女ヘレン・プレジャンの本に感銘を受け映画化を熱望したスーザン・サランドンがヘレン本人に扮した人間ドラマ。

スーザン・サランドンは死刑廃止論者でもあるシスターを演じこの映画で主演女優賞を獲得しています。そして、若きカップルの殺人及び強姦罪で問われる死刑囚をショーン・ペンが演じます。彼もこの作品で主演男優賞にはノミネートされていましたが獲得までには至りませんでした。しかし、この作品でこれまでのチンピラ風な役柄から徐々に実力のある作品に出演するようになったような気がします。ついにはミスティック・リバー(2003)で主演男優賞を受賞しています。

この二人の起用が本当によかったですね。

スーザンの演じたシスターは、操をキリストに捧げます的な修道女にあらず、型にはまっていないざっくばらんな女性であり、その人柄がショーン演じる死刑囚の心をじわじわと改心の方向へ導いてくれます。悪人だとは分かっていながらもはにかんだ仕草や表情が垣間見えてくると観ているこちらの感情も徐々に死刑囚よりになってしまいます。

こういうダメ男の甘えた仕草、ほんとショーンは上手ですね。

それまでは自分の無罪を主張し死刑についても恨み言をつらねていた彼に人として悔い改める機会を作ってくれた重要な役どころでした。

この2人の交流がストーリーの大事な時間です。

▼ここからネタバレになります。

結論を言ってしまうとやはり死刑は執行されてしまいます。

つまり、完全なる悪人にも改心する機会や良心の呵責がみられた時でさえ、更生する機会は与えられず死をもって償うべきなのか否かというところがポイントなのです。

人が人を罰するとはどういうことなのか難しい内容です。

もちろん、殺害されたカップルにもそれぞれに家族があり、家族はこれから一生この記憶と共に生きていかなければならないのですから。死刑はむしろ残された家族のためにあるようなものです。家族の想いを知ったシスターですら自分のしている事に心が揺らいでいました。

どちらの視点で描かれるかによって見方が変わってくるのは当然ですが、今回は死刑囚を支えた女性の立場から描かれているため、この二人の残された時間の共有が観ている側に死刑執行の無念さを印象付けます。

執行に向け廊下を渡っていく描写がとてもリアルでした。恐怖からの失禁を防ぐため大の大人がオムツをあてがわれています。こういう時間を生殺しっていうのでしょうね。

観ている方も殺人の片棒を担いでいるような気持になります。

しかし、映画の最後にこの事件の要である殺害シーンが流れます。監督の「これでもあなたは犯罪者の肩を持てますか?」と言わんばかりの演出に、彼の死をもって罪が償われた事の実感がわいてくるのです。

監督はあの名優でもあるティム・ロビンスです。しかも、この時は公私ともにスーザンのよきパートナーだったのですから。すべてがすごい演出ですね。

詳細情報はこちらから

一緒にご紹介したいのは、韓国版デットマン・ウォーキングです。

「私たちの幸せな時間(韓国)」

2006年制作。

この映画は主演のカン・ドンウォンがお目当ての映画でごめんなさい。

「デットマン・ウォーキング」を知っていたので類似している内容だろうことは想像がつきました。どう描かれるのだろうと思っていたのですが、さすが韓国ドラマ、こちらの方がドラマチックに描かれているので女性には見やすいと思います。

まず、カン・ドンウォン演じるチョン・ユンスの生い立ちに同情が集まります。

目の見えない弟を抱えたままホームレス生活を強いられ、縄張り争いがもとで弟を死なせてしまいます。その後も当然ちゃんとした教育も環境も与えられまいまま成長するも、やっと最愛の人との生活をつかんだその時、彼女の手術代で多額のお金が必要になったことで悪い奴の片棒を担ぐ羽目になってしまいます。ただ金品を盗むだけのはずが誤って二人の人間を殺害した罪で死刑判決を受け、もはや生きる屍のような日々を送っていた彼に神様が天使を与えてくれました。

それが、イ・ヨナ演じるムン・ユジュンです。

彼女は、スーザンと違ってシスターではないのですが、彼女自身もあることを切っ掛けに生きる気力を失っており、そんな似た者同士の二人を彼女の叔母であるシスターに引合されるのです。

生まれ育った境遇は違えど、お互いがお互いの心の闇を知り、理解しあえたことで生きる希望を見出すのですが、最後の時は刻々と訪れようとします。

アメリカ版との違いは、本来、彼自身は悪人ではなかったこと。自分の境遇や犯してしまった罪を素直に悔いて生きる気力を亡くしていたこと。また、彼に娘を殺されてしまった母親も彼の生い立ちから犯した罪を許そうと努力をしてくれたことでしょうか。

ほか、犯罪者を収監し、刑を執行しなければならない管理者側のジレンマも描かれています。

▼ここからネタバレです。

いくつかの同情すべき機会はあるものの、結局、ユジュンの努力の甲斐もなく死刑は回避されません。囚人に死刑執行の日程は知らされないので、突然、その時はやってきます。

数日前、ユジュンに誕生日プレゼントとして強請ったナイキのシューズを履くことなく看守に両脇を支えられながらその場所へ連れて行かれる姿はやはりデットマン・ウォーキングを酷似しています。

幸い、いつも二人を見守っていた看守の配慮からその日をユジュンは知らされ、立ち会うことが叶いました。

その場に彼女がいることを聞いた彼は、彼女に最期の愛の告白をするのと同時に強がっていた死が怖いと泣きじゃくります。しかし、無念の表情を浮かべた看守の手によって最後のスイッチが押されてしまうのです。

こちらは完全にラブストーリー仕立てなので、当然のごとく死刑囚寄りになってしまうのは仕方ないでしょう。ただ、自分の犯した罪を十分理解していた彼の願いは、生涯塀の中でしか生きられないとしても、1週間に1度だけ彼女とつかの間を過ごせれば満足だということだったのです。もし、死刑制度がなければそれは叶えられたことだったのでしょうね。

詳細情報はこちらから

死刑制度自体は、残された遺族の気持ちを代弁するとともに犯罪抑制の意味も込められているんですよね。きっと、私も遺族側であれば間違いなく同じ目に合わせてやりたいと思います。どうせ罰するなら他人の手を借りずに被害者遺族の手で行うことに意義があるのであり、昔でいう「仇討」が制度化されたらいいのかもとか思ったり。

死刑制度の撤廃というよりは、死刑制度のあり方を問うべきなのかもしれないなと思います。

自分でふった話題ですが、難しい問題でした…。あはは(汗)

よかったら映画だけでも観てみて下さい。

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